2014年1月19日日曜日

なぜ釣りをしていたのか

16日(木)質草の回収。何度も行き来したものだ。依存症からの回復には経済封鎖が欠かせない。「流してしまえ、回復したらまた手に入れれば良い」と生前には言っていたのだが、今となっては霊前に供えてやるぐらいしかない。片付けや清掃。上さんは元来きれい好きだった。更年期も入って体が動かなかった。かといって生前それらを代わりにやろうとすると怒った。俺は仕事、上さんは家事。今や古いが、それが俺たちの役割分担だった。俺に家事をさせるのは彼女のプライドが許さなかった。「ごめんな、明日まで待ってな」「無理するな、調子の良い時でええ」毎日の会話だった。やりたかっただろうに動けなかったのだと思われることを皆やった。

17日(金)出社。初七日は亡くなった日を含めて数えるらしい。こんなことでもなければ知らなかった。明けたことは口実で、本音は家にいても辛く悲しいからだ。数百にもたまったメールに目を通す。仕事がいずれも大したことではないと思えてしまう。お悔やみをいただいた方々に返信。不便な場所まで会葬してくれたり香典をいただいた方々にお礼。

18日(土)バアバを新横浜駅まで送る。道中上さんが使っていた財布を現金ごと渡す。別に交通費も。遠慮するバアバに、「上さんが渡してやってと言っている、いつもそうだった」と説得。悲しみは深いが、波乱の人生を生き抜いてきた婆さんだ。気丈に帰って行った。帰宅後疲れを感じる。気持ちの切替えに明日には釣りに行こうかとも考えたが、気乗りしない。「イカがなくなったで」「ヒラメにしぃ」「アカムツが欲しい」いずれの声も聞こえてこない。釣ることが好きで行っていたのだが、それ以上に食べる上さんの笑顔のために行っていたのかと、今更に思う。受け取り手のいない釣行、今後は自分のために行かなければ。

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