2015年6月1日月曜日

水無月初日に

6月になった1日(月)。21時に帰宅、会食がなかったので早いほうだ。家に誰もおらず、3匹の愛犬どもがけたたましく吠えている。恐らく一日中物音を聞きつけては泣いていたのだろう。近所迷惑甚だしい。俺は平日の朝しか面倒見れないので、休日朝夕は次男Kの、平日夕は嫁Aの当番。産後なのでKが代わりに今夕は担当するはずなのだが放置されている。K一家には二部屋を破格の賃料-周辺のアパートよりもはるかに格安で、あえて低所得者用公営住宅並みに設定したもの-で貸しているのだが、同居の唯一の条件がこの犬当番だ。俺に電話かメールで交代要請があるわけでもないし、書置きが残されているわけでもない。全くの無視・放置ということになる。予想していたことではあるのだが、その無責任さ、ここに極まれり、か。最低限の責任を放棄するからには、即刻退去させられることを覚悟の上なのであろう…。そんなことなど露ほどにも考えていない恐れもある。だが、だとするとその幼さには、もう付き合っていられない…。

可愛そうなのは犬どもだ。朝は俺が当番を済ませて7時に出たから、締め切った暑い室内で、餌も水もなく14時間以上軟禁されていたことになる。「水無月初日に水が無いか」と水をやると、皆すさまじい勢いで飲み干す。マーガリンやココが垂れ流した糞尿で悪臭が酷い。急ぎ窓を開けて換気する。クロベエは今にも死なんばかりの悲鳴をあげる。我慢の限界なのだろう。散歩に連れ出すとすぐに長々と小便を流し、次いでポンポンと大便を出す。やれやれという表情で見上げるので、思わず頭や体をさすって褒めてやる。散歩から戻ってマーガリンやココの粗相の始末。なんでこやつらの面倒まで俺がみているのかと考えるとバカバカしく、苛立たしくもなる。だが、餌と水をもらって無邪気に喜び、愛くるしい表情で見つめるこやつらに罪はない。自然に「お前が死ぬからこういうことになる」と仏壇のお上にあたることになる。ついでに「クロベエを安らかに早く連れて行ってやってくれ」と頼む。明日はどうするつもりなのかKからもAからも連絡すらない。俺から問うのも、腹立たしくて言いたくもないことを言わずにおれなくなるだろう。クロベエはこのままでは放置されて苦しく辛く可愛そうな毎日になるだろう。中大型の16歳老犬をもらってくれる人はいない。保健所も近年は殺処分ゼロを目指すとやらで引き取らない。そこに目をつけた業者が有料で引き取るビジネスを始めている。やはり金を出して引き取ってもらうしかないのか…。


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