2016年5月28日土曜日

面目…

2016年5月28日(土)釣行 小潮
忠彦丸 和彦丸左舷トモ3ー4番(左10人、右10人)
7:30出港11:00納竿 11:15帰港
八景沖 水深18ー22m 波0.5m
曇り ほぼ無風

ジャック アジ7匹 17ー23cm
Nさん アジ 2匹20cm

昨年半日LTアジに行ったSさんと同じ釣行を予定。同僚Nさんも同行することに。Sさんは結局所用で行けなくなったが、それが正解になった…

出港前に5年ぶりのNさんにレクチャー。第1投は見守っていたが、危なげなく投入、底立ち、タナ取りしている。いきなり釣れて、大丈夫だろうと、俺も参入。すぐにアタリがあるが針がかりしなかったりバラしたり… そうこうしているとすぐにバッタリ。潮止まりも重なって、まるでアタリがない。

劇シブ。としか表現出来ない。船長もポイントを転々とするが好転せず。アジでボウズは経験がないが焦る。状況が変わったのは納竿30分前の10:30。潮が流れ始めて15分ほど食いが良くなった。ここを逃してはならじと7匹を連釣。全てNさんに贈呈。家族3人なので9匹あれば充分と喜ばれる。

危うくボウズになるところだったし、高切れで天秤やビシを無くすし、スマホをクルマに忘れて写真もなし。辛うじてお土産を渡せて面目だけは保ったか…

ジャック 三咲ライトマスターIIー180 + シマノ幻風 PE1号
Nさん ソリッドハンター30ー180 + シマノ電動丸1000SP PE2号
天秤30cm かなビシ40号 1.5ー2号 2m 2ー3本針

2016年5月22日日曜日

ベビームギ

朝日の真鶴港。清々しい
2016年5月21日(土)釣行 大潮
誠いち丸 左舷トモ1番 (左舷4、右舷4)
5:30出港 14:00納竿 14:15帰港
真鶴沖 水深60-90m 波0.5m
晴れ 北東後南の風 0-5m

ムギイカ 15匹 8-12cm

整理整頓された船内。
船長の気質が伺える
5月になるとムギイカと遊びたくなる。スルメイカの子供だが獰猛さは幼少のころから備えているらしく、プラヅノに果敢にアタックしてくるからアタリが小気味良い。まだ身が薄いので、皮をむかずにそのまま切るだけで、柔らかい刺身になる。3時起き、4時半に真鶴港に到着してみると、国敏丸の釣り人はキンメの準備をしている。小田原に引き返す前に、女将に「今日はムギでないの?」と電話すると、「あら、来たの?じゃ港に行くから」と。昨夜予約の一人だったので他船に同乗してもらって出船は止めたらしい。紹介された隣の誠市丸に便乗させてもらう。まだ右舷に2人乗っていただけなので、左舷トモへ。
か、かわいい?!

第1投でムギイカがダブル。だが二つの理由で今日は苦戦を予感。①探索が長い。つまりイカの群れが小さいか早いか。②イカが小さい。胴長15-20cmぐらいが釣りやすいのだが、協は10cm未満だ。つまりアタリがとりにくいし、バレやすい。その後の数投で5匹を確保したが、予想通りその後ばったりアタリが止まった。小田原の船が集結し始めた7時過ぎにはもうまったりしてきた。直結をブランコに替えて、取りこぼしを少なくすることに。

よくぞ拾ったミニサイズの15匹
几帳面そうな船長が懸命に探索するが、どうにも改善しない。救いは天候だ。快晴・凪で波も全くない。穏やかで暖かい船上でウツラウツラするのは、思えばかなり贅沢なことで、久しぶりに探索・移動の度に横になってのんびりする。この船長は船の位置決めをするときに多くのイカ釣り船長同様バックギアに入れる。それで起き上がって準備、合図で即投入。それでも中盤は全く乗らない。

潮なのか何だったのか、状況が変わったのは終盤。ほんの30分ほど、ノリがよくなり、10匹を追釣した。都合15匹はこの日のトップではなかろうか。誠いち丸のWebにはこの日の記事がない。それほど苦戦したということだ。数釣れたら店に持ち込んで料理してもらうつもりだった。これでは持ち込まれても困るだろう。まっすぐ帰宅、洗濯、風呂、タックル掃除を済ませてスッキリ。まだ表皮の色が変わる新鮮なベビームギを刺身に飲む。21時を待たず熟睡。いい季節だ。

シマノ バイオインパクトマルイカ165 + 幻風300XTタイプG PE1号
ヨリトリリング 11cm直結8本針、11cmブランコ7本針

2016年5月16日月曜日

江戸っ子の祭り

雷門提灯があげられるのは年一回
終わってからニュースでやっていたことを知るイベントが少なからずある。浅草の三社祭もその一つ。たまたま今年はTVで準備模様を放映していたのを見た。例年第3金土日に行われるが、今年はサミットと時間差を持たせるために1週間前倒しになったらしい。金曜は大行列、土曜は100基もあるという各町の神輿、日曜が宮出・宮入という予定は例年通りとか。勇壮な神輿を見に土曜に出掛けてみた。

浅草寺の裏庭に所せましと神輿が居並ぶ様はなかなか他の祭りでは見られない光景なのだ。だがそれを見下ろす境内は警備員がしか入れないので、他に高台スポットがない。そこから順番に浅草神社でお祓いを受けて、各町に帰るという趣向なので、神社の参道で待ち受けた。男女がぎっしり並んで担ぐ神輿を半歩ずつ進めて練り歩く。朝から夜まで浅草界隈はそこかしこに神輿がうようよしている状態になり、100万人とも言われる観光客と雑然としながらもさまざまなプログラムがそれぞれ進められる様に歴史を感じる。ただ、小中学時代に鐘・太鼓を敲き、屋根上で踊ったりしていた経験からすると、神輿は何台あっても所詮小さく、迫力という点ではだんじり祭りのほうが上回る。人混みにも疲れてきたし、屋台のコスパの悪い食事をとる気にもなれない。隅田川を散歩がてら下る。祭りや散歩にはうってつけの日和だ。深川丼を初めて食べたが、まさにゴロゴロ出てくるあさりに驚く。いい土曜日の写真・動画をGoogle Photoがムービーにしてくれた。

日曜は家事に忙しい。洗濯、掃除を済ませて朝食を取った後、税金の振込、散髪、郵便物の引取と巡ってから、洗車してディーラに立ち寄り来場プレゼントのディレクタチェアをもらう。壊れたiPad
を修理に出してからイオン内にあるコンタクトレンズ屋から眼科へ。検査・診察待ち時間が長いので、食料品の買い物を済ませる。クルマの運転中にコンタクトが取れそうになるので診察したのだが、まぶたに炎症があってブツブツしている状態だと判明。点眼剤を処方してもらって帰宅。飲みながら真田丸を見終えた頃にはうつらうつら。釣り抜きだったが、充実した週末になった。

2016年5月8日日曜日

大仏で大鯛

育丸WEBから。ドーンと1匹目
2016年5月7日(土)釣行 大潮
育丸 若船長船 右舷トモ1番(右3、左4)
5:30出港 12:30納竿 13:00帰港
剱崎沖 水深60m 波2-1.5m
曇り後晴れ 西南西の風 14-9m

マダイ 3匹 2.5Kg、1.5Kg、700g

月例仕立て。マルイカには早く、先月に続きマダイ狙い。乗っ込みマダイが剱崎でも久里浜でも好調。前夜降った雨は上がったが、風が強い。先月に続き苦行釣行。あえて酔い止めを飲まず、頻度が下がっても体を慣れさせようとしたが、終日酔い気味だった。次回からは無理せず薬に頼ることにしよう。

育丸WEBから。サクッと2匹目。
育丸WEBから。
釣果全部写すのが若船長流?
序盤、強い引き込みを見せたのは2Kgオーバーの大ダイ。黒々としたのっこみ色のオスだ。中盤、さらに強い引き込みを見せたのは、真っ赤な美しいメス。サイズはオスほどではなかったが、引き込みの強さと粘り強さは、やっぱりメスのほうが上か。2Kg前後が揃ったところで、もう十分とSNSに写真をUp。

「釣れたら連絡して」と言われていた同僚Trさんに知らせる。写真をみて「嫁とともに相伴を希望」とのことなので、料理店へ持ち込んで晩酌を即決。家に食べさせる人がいなくなって、捌くのが砂漠のようなので、受け取ってくれる料理店はありがたい。そこまでは良かったが、「塩焼きを食べたい」とのご要望。2匹とも塩焼きにするには少々大きいので、小型の追加を狙う。
酔った仕上げにタイ出汁のソーメン

大皿からはみだす大ダイ
型が欲しいと願うときには良く釣れる小型だが、小さくていいからと願うとなかなか釣れない。右舷の前二人がタックルをすっかり片付けた最後の流し。あきらめかけたところに、竿先に小さな魚信。すかさず合せると小気味良い引き込みにマダイを確信。取り込んだのは期待通りの塩焼きサイズ。大中小のマダイを揃えてハッピーな納竿。

日本一の大仏
巨大な石仏と地獄のぞき
船中1-5。土曜日のマダイ釣りで7人全員ゲットは珍しい。一日トモからミヨシに流れる潮で、トップも右ミヨシのYさん。最後の一人になった左トモのTkさんも、残り20分になって確保して、思わず拍手。船団からやや離れたポイントで一人賭けた若船長。親父船や僚船をも呼び寄せた活躍と成長ぶりを帰港後話すと、大船長も嬉しそうだった。

しばらくご無沙汰していたが、持ち込みを快く引き受けてくれた料理店。大皿で供された姿つくり。腹側と白子や卵は煮つけに。小型はもちろん塩焼きに。合間に、豆腐や筍、野菜の小鉢も出してくれる。それらにあう日本酒を選んでくれるので、杯が進む。仕上げには、タイのアラでとった出汁でニューメン。来れなくなったTrさんの上さんに代わって、何人かに連絡するとSさんが参入してくれた。3人で至福の晩酌を交わし、気が付けば4時間も居座っていた。

鋸山山頂から東京湾を望む絶景
型を揃えてタイを3匹も釣れたのも、前日の日本寺参りの御利益かもしれない。日本一大きい大仏にも驚いたが、石切り場に刻まれた巨大な石仏や地獄のぞき、残された巨石の崖にはさらに驚かされた。小高い丘だろうと思っていたが、急峻な山で日本寺一周するだけで、距離も高低差も半端ではない。膝がくがくでお参りした甲斐があったというものだが、次に訪れる時があるとすれば、ロープウェイか、有料道路・駐車場を使って山頂近くまで、歩行に頼らないルートにしよう。

シマノBJSミヨシ255+B + シマノフォースマスター2000 PE3号
天秤70cm プラビシL80号 クッション1.5m
二段テーパー6号6m+4号4m 1本針

2016年5月5日木曜日

久しぶりの団欒

しっかりしてきた孫1号に、
盗み食いを企む孫2号
次男K一家がやってきた。久しぶりである。昨年夏に自活を促して早くも8か月が経過した。目的はもんじゃ焼きとお好み焼き。外食にいけないらしい。そりゃそうだろう、稼ぎが悪い。たらふく喰わす。買う金が無いというので、お土産に米まで持たす。

30数年前、俺たちもそうだった。違いは近くに甘えられる人がいるかどうかだけだ。俺たちにはいなかったが、こ奴らにはいる。当時の厳しさには耐えられまい。うまく甘えながら自活の術を開発してゆけばいい。次男Kも嫁Aも焼肉にしたかったようだが、孫1号Hがもんじゃ・お好み焼きを引かなかったらしい。

孫1号は大きくなった。利発さは相変わらずで心配無い。孫2号も1歳にしては背が高く歩き廻る。二人ともふっくらしているし、飼い犬のココがコロコロしているので心配ない。なんとか生活していける証拠だ。負けるなと乾杯し、また来いと盃を交わす。踏み出したのは間違ってはいなかったろう。日中墓掃除してやった上さんも泣きながら飲んでいるに違いない。

腹も心も

1時間半で4神社を歩いて巡る
クルマやドライブが楽しくて乗り回していたが、腹回りがデカくなってきた。5月の三連休は郊外の観光地が混むが、逆に都内は空く。東京大神宮、靖国神社、日枝神社、乃木神社。これら4つの神社を歩いて巡れば、ご利益上がるとともに、腹も少しは引っ込むだろう。

都内は地下鉄の駅数が多いので、距離があるように勘違いするが、飯田橋駅から4神社を巡って乃木坂駅まで歩いても、6Km、1時間強程度の距離でしかない。参拝時間を入れても2時間から2時間半あれば充分だ。東京のコンパクトさと町々の由来・見所の多さには驚かされる。

昨年来参拝した4神社だが、今回は朱印状をもらうことが目的。京都観光時に朱印帳を購入して集め始めたが、京都、大阪、長野、静岡と巡って、ようやく東京に戻ってきた。神社仏閣に参拝するようになってから、こころなしか心穏やかに過ごせるようになった気がする。腹も心も、あくまで気持ちの問題だ…。

2016年5月4日水曜日

晴れりゃあ見えるもんでもない

クルマの上、木の下
こう見えるはず…だったのだが
世界遺産に登録された三保の松原に行ってみた。富士川SAからは、裾野がかすんで見えない、山頂だけの富士山が見えていた。だが、松原からは山頂もかすんでしまって見えなくなった。快晴なのだが、晴れりゃあ見えるというものでもないのが富士山だ。しょうがないので、大きな壁写真の松原富士を撮影した。

久能山へは二度目だ。14、5年前に、上さんのアルコール依存症治療の一環で来た。クロベエも一緒だった。日本平からロープウェイに乗るのにケージに入らず、二人で苦労したのを思い出す。東照宮では、日枝、本殿、家康の墓にも賽銭を入れたが、金のなる木と財産を作るという厳島神社で一桁増やした。早めにポクッと逝くか、さもなければ安らかな老後を祈願した。

他の写真は抜粋してGoogle Photoで。

2016年5月2日月曜日

賑やかな上田より見所多い松代

20m以上ある土塁
連休を利用して、信州に行ってきた。テーマは真田めぐり。

松代城は、真田信之が大坂夏の陣の後、家康に移封された城。元々信玄が謙信を攻めた川中島の戦いの拠点として築いた海津城と同じ。大河ドラマにあやかり今は真田ゆかりの松代城とその城下町として宣伝している。信玄または謙信が取り上げられると海津城として喧伝するだろう。城跡の他にも、真田宝物館や真田邸、文武学校や八幡社、象山神社など見所が多いのだが、観光客が少なくて観やすかった。

上田城は、真田昌幸が家康に金を出させて作った城。昌幸は戦国中もっとも秀でた策士だろう。それまでの山城から平城へ出てきたからか、堀と土塁を駆使した設計になっている。石垣は当時千曲川に面していた南側だけだが、他の三方に作った堀と土塁の深さ・高さに驚かされた。20mはあるだろう。石垣を積まずにこれだけ掘って積上げたのは初めてみた。ドラマの影響でこちらは人気が高い。ドラマ館も仕立てて大混雑だが、高い割には内容は子供だまし。

Google Photoが自動生成したアルバムが、上田・松代 真田めぐり
同じく、Movie仕立てで自動生成されたのがこちら